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人生について

(2004.10.22)
 一場靖弘投手がプロ野球の巨人に続き、横浜、阪神からも現金を授受していると報じられた。このことは、差出人不明の文書が一場本人、別府氏、横浜球団に送られてきたために、あわてて横浜球団と明大野球部別府隆彦元総監督が話し会って発表したとのことである。また、別府隆彦元総監督は「一場靖弘投手は巨人から現金を授受したことで退部という制裁は受けているので蒸し返しでかわいそうだ」とも発言している。
思うに一場靖弘、プロ野球球団および明治大学野球部はおかしいですね。ルールに違反しても発覚したらその部分だけ認めて、それ以外のはばれない限り隠す。そのような人達が大学野球部の監督である、プロ野球選手になることが許されるのでしょうか。私は、別府監督は野球関係からの永久追放、一場投手は何年かはプロ・アマの両方で野球は出来ない位のペナルティは必要であろうと思う。

    取ろう取ろうで取られる

(2002.3.16)
 昨日のことですが、友人と一緒に高校の後輩のライブに行ってきました。前回行ったのが昨年の9月11日、あの米国同時テロがあった日です。今回は何も起こらないだろうなと思っていったのですが、またありました。こんな偶然もあるのかと思ってしまいました。こんなに広い東京でと思ってしまいましたが、確率は0ではないので、可能性はあるということです。

    一寸先は闇

(2002.2.24)
 冬季オリンピックがもう終わるが、日本人の成績は予想通り良くなかった。日本のマスコミは、視聴率を上げるために金の可能性があるとか一生懸命盛り上げようとしていたが、米国のマスコミの予想は銅3個であった。結果は銀1個、銅1個なので彼らの予想に近い結果になったということである。多くの選手がマイクを向けられたときに楽しんできますと言っていたが、最初から負けたときのためにそのようなことを言うとは情けないと思う。自分たちがどれだけの税金、あるいは支援を受けてそこに行くのかが全く解かっていない。特に、ジャンプ、複合の選手にそのことを感じた。今、多くの人たちが現在の自分のいる場所を確保しようと一生懸命になっている。改革を行わなければならないのは、官僚、政治家、企業だけではない。スポーツの世界も同じである。

    宝の山に入りながら空しく帰る

(2002.1.27)
 私たちが生を受けているのは精々80年であるがそれを生きていくのは大変なことであると思う。もしも何もしないでいることを考えると本当に長い人生である。私たちは、常に何かを考えていないと、何か目標をもっっていないと生きていく気力を持てないのではないでしょうか。
今、多くの人が目標を持てずにいるように思われる。特に中高生にそれを感じる。確かに何もしなくても日は過ぎていくのだが多くの人は何時かは自身が努力をしなかったことを悔やむ。
私もその中の1人である。

    死して後已む

(2001.12.31)
 2001年も今日で終わりです。今年は米国同時テロを初めとして悪い話が多かったですが、私にとってはよい年であったと思います。来年はもっとよい年になるよう努力をするつもりです。

    心程の世を経る

(2001.4.22)
 私はもう52歳です。平均寿命からみると人生の2/3が過ぎたことになります。
 最近思うことがあります。自分の人生はどうだったのか。満足がいくものであったのか。ここにはとても書けませんが、残念ながら大きな間違いをしていたのではないかというのが、最近の私の気持ちです。もっと早く気づくべきでした。
 多分、同年代の多くの方は私と同じように思われているのではないでしょうか。

    親に目無し

(2000.9.10)
 今日は松戸市南部史跡めぐりに行って来ました。
 常磐平から子和清水、八柱霊園、河原塚、広龍寺への道約5Kmを3時間かけて歩きました。松戸へ来てもう20年がすぎましたが、表面的なことは分かっていてもその歴史はほとんど知らないことを実感しました。ネットを通じてもいろんな情報は集められますが、実際に歩いてみるのがそこを知る一番いい方法です。

    晴耕雨読

(2000.8.22)
 19日は父の1周忌でした。
「徒然草 30段 墓は鋤かれ、田となる」http://www.pseudog.com/tsure/text/30.html (Kuniharu Sato訳)にもあるように「去った者は日に日に遠くなって行き」ます。ですが、私たち子供は多くのものを父母から授かっています。それらのものの多くは、また私たちの子供たちに受け継がれて行きます。それゆえ、人として一生を終えると言うことは大変なことですし、また非常に大事なことでもあります。私の人生はもう終盤に近づいていますが、子供たちに何を残し何を残さないかを考え、日々生きて行きたいと思います。

    浮き世は夢/Man's life vanishes like a dew.

(2000.7.30)
 インターネットの世界は半年もすれば様変わりする。これから2年、3年先を考えると私が持っている技術が本当に役に立つのか自信が持てない。当然私自身も成長するのですが、基本的な考え方というのは生まれてからここまでの生活の中で積み上げられた結果であるので、変えようとしても変わるものではない。自分のことで考えてみれば、小学校までの意識していない頃の経験が今の私のもととなっているように思われる。今良く会っている友人は、小中学校の友人と高校時代の友人です。大学時代、社会人になってからの友人とも会いますが、彼らとの話はどうしても仕事が中心となってしまいます。
 団塊の世代の我々は、今が正念場、これからの一年一年を大事にして行きたいと思っています。

    芸術は長く人生は短し

(2000.7.2)
 一昨年、昨年と自殺者が3万人を超えたとのことです。もう30数年前になりましたが、私もそんなことを考えたことがあります。これを読まれた方の中にも、そのようなことを考えられた事がある方は多数おられるでしょう。
ですが、自分の人生は一度しか有りません。みなさん方、自分の人生がつきるまで好きなことをしましょう。
私がそのような方に何かしてあげることがあるかと思っても特にありませんが、時には気晴らしに読んでみてください。

    人事を尽くして天命を待つ

(2000.5.4)
 一昨日は豊川で昨日は広島(?)で17歳の少年が殺人事件を起こした。
 豊川の事件に関して漏れ聞こえてくる話をまとめて考えてみると、人を殺すのもゲームの一部としか考えていないように思う。確かにゲームの上では試行錯誤することが出来るので、相手が死んでも自分が死んでも痛さも悲しさも何もない。現実とは違う別の世界がそこにあり多くの子どもたちがそこに逃げ込んでいるのである。
 今、子どもたちは生まれたときから仮想現実も現実の一つとして感じている。それらにどのように対応して行くべきなのかを誰も教えることが出来ていない。と言うことは今起きている事件の責任は我々にあると言うことである。
 我々は自分の経験ではなく、子どもが生まれてから経験したことを考えながら彼らをどう教育するかを考えなければならないのである。

    昔の剣今の菜刀

(1999.4.21)
 今日は私の誕生日です。この世に生まれて丁度半世紀たちました。この間、何をしてきたのかと考えてみたのですが、これをしたのだと言えるものがほとんどありません。と言うことは何もしなかったと言うことなのでしょう。
 平均寿命からいえばもう人生の2/3を生きたことになります。あと1/3をどう生きるのか、それが問題です。

    酔生夢死

(1999.1.30)
 今日の日経新聞の記事です。
 「仮想現実のワナ/危うい孤独」というテーマで伝言ダイヤルについて書かれているのですが、その中にそれを利用している女性のコメント”会うのは危険性も伴うことは分かっている。でも、孤独を紛らわす話し相手が欲しいからこれからも利用するつもり”はとても理解できません。
 今、自分のいる環境(家庭、地域、学校、会社)が昔に比べて非常にぎすぎすしてきているとは思います。ですが、その環境を離れたところは自分にとってもっとすばらしいところなのでしょうか?本当はもっと住みにくいところの筈です。
 もっと地に足をつけてゆっくり考えて歩いて行きましょう。

    多くの友を有する人は一人の友をも得ず/A friend to everybody is a friend to nobody.

(1998.11.15)
 私の父は、現在いわゆる老人病院に入院中なのですが、同室に元警察署長の池田さんといわれる方がおられます。大正2年生まれの85歳、頭の方は非常にしっかりされています。毎週あったこととか考えていることとかを半紙に毛筆で書かれておられるのですが、昨日書かれたものを頂いてきましたので以下に紹介いたします。

 八十余年の年輪を経にしも今なお今日ある命を倖せと思うなりき
 お国のためと誇りをもって尊き命を戦場に俸げし友はお国の将来を愁いつつ静かにねむり続けている

平成十年十一月十四日  
池田 正  

    命は天に在り

(1998.9.8)
 日本で100歳以上の人は10,158人とのこと。びっくりすると共に自分がそうなったらどうするであろうかと考えてしまった。
 もう、だいぶ前のことになるが、10代の頃思っていたことがある。
 それは、
 ・せっかくこの世に生まれたのだから、20歳までは生きたい。
 ・結婚したい。
 ・子供が欲しい。
 ・両親を看取りたい。
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 ・
 続きは次の機会に書きましょう。

    これも一生あれも一生

(1998.8.11)
 絶対的な真理の一つ、それは死である。これだけは避けることが出来ない真実である。
 私も現在49歳、人生80年としたらもう6割、70年としたら7割が過ぎたことになる。それゆえ、自分の一生について、自分が何をしてきたかこれから何をするのかを原点に戻って考えても良い時期に来ているのではないかと思う。今だとこのようなホームページを利用して簡単に自分の思っていることを表現できる。ほんの2,3年前までは考えれなかったことであるが、私も利用することとする。

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