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家族について
(2002.4.21)
この世に生を受けてから53年、私は今まで何をしてきたのだろうか。子供の頃思ったこと、その多くはまだ実現されていない。だが、結婚し子供もいるし、また友人もいる。これで十分幸せである。私はこれ以上の何を望んでいるのだろうか。自分が出来なかったことを子供に望んでいるのか、それとも押しつけようとしているのか。私の人生があるように妻にも子供にも人生がある。少しでも家族が望む人生を実現させてあげることが私の責任である。
出る息入る息を待たず
(2002.2.3)
今日中国の中学生が出ている番組を見ていたが、不登校のことについて聞いたらそんな人はいないと。家にずっといて何をするのかと。何のために働くのかの質問には、9人中、5人が国のため、3名が自分のため、1名が両親のためとのと答えた。あまりにも今の日本と違っている。これでは、日本が負けるのは当たり前である。
子供にそのような考えを持たすことが出来ないのは、一番は親、次は教育、三番目は政治の問題であろう。私も忸怩たる思いに駆られる。
鞭を惜しむと子供が駄目になる
(2001.7.15)
先週のことです。夜11時過ぎに高校生の息子がお父さん悩みが有るんだけどと私に話しかけてきました。最近子供との間隔が非常に広がっていると思っていましたので、私としては本当に嬉しかったです。家族でありながら、また家族であるが故にかえって話が出来ないことがあります。これからは出来るだけ子供と話をしようと思っています。
子に引かるる親心
(2000.12.16)
不安。先が見えないことについての不安です。今の私の気持ちを一番良く現している言葉です。
仕事でも、勉強でも何時までという目標があります。もし万が一出来なくて、失敗してもそこで一区切りつきます。ですが子供の事については全く先が見えません。それゆえ、同じような経験をした人でないと判らない不安があります。私だけでなく妻も一緒だと思います。また、きっと本人も不安なのでしょうが、私には全く判りません。親としては情けないことなのですが事実です。何も積極的なことが出来ないもどかしさ、親も子供と同じようになってしまいそうな不安もあります。
知恵は浅し川は深し
(2000.12.4)
子供の不登校が始まってから3ヶ月経ちました。最近やっと同様なお子さんをお持ちの方の気持ちが本当の意味で解ってきたように思います。私もほとんどの親と同様な気持ちです。自分の思いと子供の行動とのギャップ、とても大きく私自身では埋めることが出来ません。ですが、その時親がどのような行動をとるかで子の将来が決まってしまいます。それゆえ、怖々話をすることになります。どう話をすればよいのかが判らない今、相手の様子を見ながら恐る恐る話をする。悲しいですがこれが真実です。
子の心親知らず
(2000.11.5)
私と同じ状況におられる方はたくさんおられますが、気持ちとしては私と同じではないでしょうか。
実は、子供が考えていることが全く解らないのです。毎朝、家族のなかで最後に起きテレビを見、ゲームをし、それで一日が終わります。この状況が夏休みが始まってからずっと続いているのです。子供がそのような行動をとるには当然理由があるのでしょうが、見ているとこれから先永遠に続きそうに見えます。
親としてはとても耐えられません。
禍福は糾える縄の如し
(2000.10.15)
不登校はまだ続いています。ですが、以前よりは本人はかなり気が楽になったようです。外出できるようになったし、家族とも話が出きるようになりました。親としてはまだ子供に対してはほとんど何もしていません。妻が一度学校という言葉を言ったら子供が固まってしまったので、当面は普通の生活が出来ればそれでよいと思っています。
ただ、当面どうするかは決めたのですが、その先は全く見えません。子供の一生ですのでまだまだ時間があります。ゆっくり話をしながらやって行きたいと思います。
子を一人育てるに生くる瀬か死ぬる瀬が七度ある
(2000.10.1)
中学3年生の子供が学校へ行かなくなって4週間経ちました。本人もつらいとは思いますが、親も本当につらいです。妻はたくさんの本を読み、同様の経験がある知人に連絡をしています。本を読むとうまくいったケースが載っていますが、現実にはほとんどのケースがうまくいっていないわけで、なんの役にも立ちません。また、この様なケースでは二親の考え方は同じではないケースが多いと思われます。我が家でもあまりにも違いすぎるので、私はこのことに関しては子供には何にも言っていません。
多分、この様になった場合、ほとんどの男親は子供が情けないと思うでしょう。実は、私もそう思っています。
色々調べてみますと、一クラスに1名は不登校の子供がいるようです。それでは、なぜこの様な子供が増えてきているのでしょうか。きっと学校へ行くことが楽しくないのでしょう。それ故、行かなければならないものだと思っていても何らかのきっかけで行かなくなります。休むと今度は行きづらく、行けなくなります。そしてそれか続きます。
担任は、来なくてもそんなに気にしないみたいです。一度連絡があり家に見えられたようですが、学校に出てくるようにとの話はありません。そうするのが彼らの責任の範囲なのでしょう。
もう我が家では、子供が今後も学校へ行かない前提で動いています。子供にとってそうするのがよいことではないのですが、そうせざるを得ません。これは親の責任です。
子の心親知らず
(2000.4.16)
今日は子どもが入っているボーイスカウトカブ隊の手伝いで、野田市の清水公園というところに行って来ました。昨日からの雨のために午後からになりましたがフィールドアスレチックを行いました。40の関門があったのですが残念ながら半分しかできませんでした。体重の割に筋力がないと言ったところでしょうか。気持ちでは出来ると思うのですが、池に浮かんでいるドラム缶を渡っていくのは本当に落ちるのではないかと冷や冷やものでした。
体力について思い出すと、40を超えて鍛えるのを止めるとすぐに確実に落ちます。友人でまだテニスを毎週している人たちは未だに以前と同様に出来ていますので継続すればまだまだの年代でもあるわけです。
体だけでなく、頭も使い続ければまだまだ大丈夫でしょう。
意志のある所には道がある/Where there is a will, there is a way.
(2000.2.20)
神奈川県警から、京都府警、今回の新潟県警とこれだけ続けば全国の警察が同じようなことをしていると思うだろうし、またそれは真実であると思う。
その組織のトップは私より数歳年上であり多分戦中派であろう。自分を守るために何でもするし、部下にもさせる。それが当たり前だと思う感覚が人としてはおかしいのだがそうするのが正しいのだと思っている。
それだけではないがいろんなことを考えると、これからの日本が見えてくる。
このままでは日本は他国との競争に負け滅びてしまうであろう。
その原因は教育にある。学校だけの教育を言っているのではない。家庭での教育、社会での教育、人生における教育全てを含めてである。50年前からの教育の結果が今現れてきている。と言うことはそれを直すにも50年かかると言うことである。
少なくとも自分の子供だけは自分で教育するとの責任感が、我々親には必要である。
日暮れて道遠し
(1999.11.23)
今日は妻と一緒に上村松園展に行って来ました。二人で出かけたのは何年ぶりかで、絵をも見に行ったのも久しぶりです。
美人画ばかりで100点はありさすがに見疲れました。絵の好き好きはあるのでしょうがわたしは、30歳頃の絵が好きです。以降の絵は京都にどっぷり浸かった絵のように感じられて何か全て同じように感じられてしまいました。ですが、線には躊躇いがなくとてもすばらしく、絵を描く才能のない私にとってはそれ以上の言葉はありません。
習うは一生
(1999.10.9)
日本の女高生の行動は、どうしても理解できない。何でみんな同じかっこうをするのであろうか。誰かが唾を吐いたかもしれないホームに胡座をかいて座るのでしょうか。なんとも思わないのであろうか。また親はその子供達に対しどう対処しているのであろうか。
これらに対し、政治、学校、宗教は全く存在価値がありません。それらの現状を見ていると価値がないのは当然とも思われますが、その内にいる人達は全くそのようには思っていはいないでしょう。
それゆえ、家庭がしっかりするしかありません。自分の子は自分で守る。そのためには家族として身に降りかかる火の粉を自分たちの力で排除することも必要だとも思う。
毒を以て毒を制す
(1999.9.27)
9月23日父が亡くなりました。母は13年前でしたので、これで両親とも逝ってしまったことになります
7年前に脳梗塞を患ってからは生まれ育った岡山を離れ私のところへ来ていたのですが、心臓もよくなかったので1年以上も前から入院していました。2週間ほど前に医師からはもう長くはないと言われていたのですが毎日見ているとそのように思えなく、あっと言う間に逝ってしまいました。
葬儀が終わった後、説明はうまくできないのですが精神的にはブランク状態です。
.....
人は一代名は末代
(1999.8.8)
昨日今日と子供のボーイスカウトの手伝いでした。
最近はどこの団も人数が減り、近くの団で解団したところもあるとのこと。ですが、考え方はまともではないかと思います。特に上下の関係がはっきりしているところは今の教育が全くしてくれないところを補うことにもなっています。
このような団体が今後はまた少しづつ増えていくと思われます。
若いときの苦労は買ってもせよ/A young idler an old beggar.
(1999.7.17)
今、高校生の長女とビバーリーヒルズ青春白書を見ています。高校白書の頃から見ていますのでもう結構長いです。ですが、自分とまわりにいる人達との関係に置いて見る価値があると思いますので、きっと続く限り見て行くでしょう。
そこでは大学の卒業式に親が出席しています。
自分のことを思いだしているのですが、中学くらいまでは、同級生の親を覚えているのですが、高校以降はほとんど友人の親御さんとのつき合いはありませんでした。
もちろん卒業式に親が出席することもありませんでしたし、自分も親にそうして欲しいと思っていました。
日本では入学式あるいは卒業式に親が出席すると子供が親離れをしていないと言う評価になりますが、本当はこのテレビのように親と子供の関係がある方が普通ではないかと思われます。
何か、自分は親とのあるべき関係を自分から断ち切ってしまっているのではないかとも思っています。
親はなくても子は育つ
(1999.7.14)
1年ほど前に頂いたラジオ・テープコーダー。テープ部分が調子悪くて使ってなかったのでラジオとして使いたいという妻の知り合いに差し上げることになった。久しく使っていなかったので、ラジオとして使えるかどうか確認をしていたら、テープコーダー部分もちゃんと動くことが分かった。そこで妻は壊れていないならばまだ使おうかと考えた。だけど差し上げるとの約束をしたのだから断る理由がいる。例えば、ラジオも壊れており使用できないとの話をしようかと、子どもに話した。
そうしたら、高、中、小3人の子どもがみんな同じ事を言った。
お母さん嘘を言ったらダメだよ。約束をしたのだから、あげないとダメ。小遣いで新しいのを買ってあげるから。
ここに書くことが出来ない額の小遣いしか渡してないのに、何という返事か。
確かに私たちの子供である。
三人子持ちは笑うて暮らす
(1999.3.28)
高校の後輩でもある甥が東京の大学に入ったので上京をして来ました。我が家にも来て話をしたのですが、彼が田舎での平均的な高校生かどうかわかりませんが、私が何時も駅で見ている高校生と比べるとかなり違って見えます。
その子にとってなにが幸せかはわかりませんが、少なくても努力をしそれが報われることは幸せなことだと思います。その意味では能力がありながら努力せず、他人のことを非難ばかりしている人たちを見ると可哀想な気がします。
東京には東京の、岡山には岡山の良いところがあります。その良さを忘れることなく東京での生活を送ってもらいたいと思います。
可愛い子には旅をさせろ/Spare the rod and spoil the child.
(1999.2.14)
昨日の新聞にこんなことが載っていました。
最近海外赴任から帰国した人が共通して驚くのは、街中における若者達の粗雑な動作動作だ。歩く座るといった基本的な動作が、粗にして野で、しかも卑に映るという。
かって人々の立ち居振る舞いの見事さに、日本を訪れた西洋人は目をみはった。それが今や、世界で一番不作法な集団と化そうとしている。
その責任は親とマスコミがメインでしょう。親は、どうすべきかを教えることが出来ない。マスコミは視聴率を稼ぐためにはまともでないことを放送した方がよいといったところでしょうか?
マスコミは何を言っても変わり様がないでしょうから、親がしっかり子供を教育することが大事なのです。
あなたはちゃんとしていますか。
蛙の子は蛙/Like father, like son.
(1998.11.7)
今日は娘の高校の保護者会に初めて出席をしました。出席率9割、父親が10%ぐらいでした。
最初の疑問は、なぜこの様な会があるのかと言うことです。内容は来年度のカリキュラム、中間試験の結果報告(成績を渡さない子がいるから親にも渡すとのこと)、クラス近況報告など。もう高校生なのだからこの程度のことは親に報告できるのが当たり前だし、またそのようにさせるのが教育ではないかと思います。
教室に入って驚きました。ポスターが沢山貼られているのです。映画のポスター3枚、歌手のポスター1枚、ビールのポスター1枚、ビデオのポスター1枚、献血のポスター1枚、化粧品のポスター1枚です。先生に質問をしたら、ただ、そうですね、以前より少し増えたみたいですねとのこと。
この高校は私立で、平均よりは少し上と評価をされています。
昔は昔今は今
(1998.10.24)
昨日は、友人が東京へ転勤してきたので9名で歓迎会を開いたのですが、実はそのうち友人を含めて4名が単身赴任です。我々の年代では、まだ子供が独立していませんので単身赴任もしようがないかとも思われますが、家族が一緒に住まないことは子供に大きな影響を与えることでしょう。また親としての責任を放棄しているとも言えます。
家族の絆が弱くなったと言われている今日この頃、企業の責任も重いですね。
打つも撫でるも親の恩
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